女子大生の読書日記

ゆるっと、本の話を気まぐれに

『推し、燃ゆ』宇佐見りん(ネタバレなし感想)

「違い」を分かることの難しさ

推し、燃ゆ

腹が立った。なんでこんな不安定なものに依存するの?自分主体で熱中できるものがないと主人公であるあかりは壊れてしまう。彼女の推すアイドル、上野真幸を推し続けるなんて、なんて不健康なのか。

一度読んだだけでは、私はその感情のままでいたと思う。私がこの「推し、燃ゆ」を読んでまず一番に思ったのは、「違い」を分かることは、簡単に語られるべきではない、とても難しいことであるということであった。「違い」を認め合おうだとか、「多様性」があっていいだとか、最近世間では口を揃えてそんな風に言っている。でもそれは単なるキャッチコピーに過ぎないんだろうなと感じることがある。あかりは小学校の時に漢字を何度も練習しても、覚えられなかったり、高校生になって居酒屋でバイトをする時に、いつもと違う空気感になった時に(急に店が忙しくなったなど)、手間取ってしまう。みんなが「当たり前に」できることが出来ない。世界は優しくない。そんな風に日常をとらえている彼女は、「推し」のために生きている。彼女の原動力は全て「推し」という存在なのだ。私が彼女のことを不健康であると言ったように、あかり自身もそう世間から思われていることは分かっている。でもそれを踏まえた上で、あかりは「推し」を推し続けるのだ。この本の中には、「推し」の全てが詰まっている。彼女が「推し」をとてつもないパワーで推し続けるから、アイドル(特にCDを買って握手券がついてくるような)の推しをしていない読者は、あかりの熱量に終盤に差し掛かるにつれ、冷めていってしまう気もするのだ。実際の私もそうだった。それでもこの作品が自分の中にひっかかるのは、「今」のこの状況がそれぞれのシーンに込められているからだと思う。ただぼうっとしているのにはどこか罪悪感があったり、無理をして働いたり、勉強することが求められたり、現代人ならどこかで感じたことのある息苦しさを感じるのだと思う。作者の宇佐見さんは私と年齢が近いことから、リアルだなあと思った所もたくさんあった。(インスタライブの描写だったり、赤いビックリマークだったり)

人は自分のためだけには生きられない時がくることを最近になって、だんだん分かるようになってきた。あかりにとっては「推し」という存在がいるからやっていけるということなのだ。もう「推し」を推すことは不健康だと、彼女に面と向かって言うことは無さそうだ。